キャンプと野宿の境目

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年越しキャンプの時の釜の下キャンプ場の様子です。
10月から浮浪者が二人住み着いています。
なにも悪いことをするわけではなく、またなにをするわけでもなく一日中焚き火をしていたりします。
タダのキャンプ場に長くいさせてもらっているのだからと付近や水場の掃除をしたり神社の掃除をしたりもします。ホントのところはわかりませんが兄弟という触れ込みで一人は毎日温泉に入り、もう一人はまったく入りません。一人が体を悪くしてその湯治のために式根島に来たのだという話も聞きました。
島の人たちの反応はさまざまで、あからさまに拒否反応を示す人、金も無いんじゃ食うものにこまるだろうと差し入れをする人、いろいろです。
役場としては観光客の多いこの島のキャンプ場に浮浪者が住み着いているのは困ると何度も帰ってくれるようにお願いに来たりしていましたがキャンプの届出を一月末まで出していてそれを受理してしまっているので無理やり返すこともできないでいます。
今年からキャンプ場は連続14日以上のキャンプはできないことになりました。
せめて2週間の週末をあわせて16日の制限にしてくれたらよかったのにと思ったりしたのですが、そんなに長く休みをとれる人なんて島の住民にはいないので考えにも及ばなかったのでしょう。
キャンプ場に居ついている彼らはテントこそモンベルのテントを使用していますが風体が浮浪者のそれであり、同じキャンプ場にいて対応に困ってしまいました。
テントも持ってこないツワモノというか野宿者もいままで結構いましたが、今回のは本格的な新宿中央公園風です。
人をなりで見てはいけないとは思いますが浮浪者キャンプ村になってはいやだしなぁ。
野宿もキャンプも同じ意味だし、やってることも大して変わりは無いんだけど、「またあの人たち野宿に来たよ」と島の人たちに言われないように気をつけないとね。
ちなみに、義父母からは「また野宿にいくの?」っていわれています。

“キャンプと野宿の境目” への2件の返信

  1. 昔、役者のハシクレでした頃、これも勉強と新宿で知り合ったホームレスのダンボールハウスに2泊したことがございます。ホームレスの皆様の中にも境界線があるらしく、ズボンの中で放尿してしまうかどうかで大きく人間としての格が変わるのだ、とのことでございました。
    また京都にはその昔、ホームレスという言葉もない頃に、繁華街にただひとり、ジュリーと呼ばれるホームレスがおりました。彼が行き倒れた際、京都大学で何を食べていたか等の大解剖が行われたニュースを鮮明に覚えております。
    お二人は誰が見てもスーパーキャンパーですから大丈夫ですよ。いつか“野宿”にお伴できる日を楽しみにしております。

  2. ダンボールハウスに2泊ですか。
    1泊だったら呑んだ勢いでありそうですが…
    いろんなところに境界線ってあるんですね。
    今年は境界線を越えてキャンパーになってみてくださいね>tanabeさん

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