話はいきなり3年半前に飛び2006年の式根島年越しキャンプでのこと。
つきんぼうず成長期の頃であります。
キャンプ場には北海道から来たというホームレス(中年)兄弟が10月頃からキャンプをしており1月末までのキャンプ許可を役場が出してしまったけど、どうにかお帰りいただけないかと駐在が弱腰でお願いに日参しておりました。
そのあおりで私たちが式根島に来た12月末にはすでにキャンプは2週間までとルールが改正されており、そして明けた翌年には冬季(12月~2月)はキャンプ場閉鎖ということになってしまいました。
この兄弟のせいで10年以上続いた式根島年越しキャンプも不可能になってしまったのです。
もともと民家に近い釜の下キャンプ場でのキャンプに批判的な島の人たちもいましたから、すべてはこの兄弟が原因でないしにても、その引き金をひいてしまったのは彼らということになります。
この次の年からの年越しは八丈島、壱岐、沖縄と国内ながらもグローバルな年越しキャンプ活動になりそれはそれで楽しかったのですが、今年はどうしようかなぁ?どんどん年越しキャンプをする人間は離散していってしまうしで年越しを見知らぬ場所で二人きりで過ごすのはちと寂しいぞ。
などと考えていました。
話はもどって式根島。私らがキャンプ場にくる少し前にもっと年を食ったグループがキャンプしていたとか。
どうもそれは椎名誠のグループであったらしい。と、うわさで聞いておりました。
その時のことについて書かれている文庫本を見つけました。釣りの雑誌に連載していたものをまとめたものですが例の兄弟も出てきます。
「式根島ありがたやありがたやキャンプ」の章。
続き(↓)は、まぁ個人的なメモですから....
わしらは怪しい雑魚釣り隊 椎名誠
「式根島ありがたやありがたやキャンプ」
東南カド地温泉すぐそば
伊豆七島の式根島への遠征である。竹芝桟橋にいくと早めにきていた連中がクーラーボックスを椅子にして円陣をつくり、酒盛りの最中だった。長老P・タカハシは三時間前に到着していたようでもうだいぶ酩酊していた。タタカイははじまっているのだ。なんのタタカイだ!?
例によって持ち込む荷物が凄い。キャンプ旅なので大型のガスコンロやボンベなどもあるから荷物がかさむのは仕方がないが、長靴とか寝袋なんかがむきだしでころかっている。こういうのをズダ袋かなにかに入れてひとまとめにすればもうすこしすっきりするのに、まあおれたち全員バカなんだから仕方がないか。
出航ぎりぎりに十人全員バケツリレーの要領でワッセワッセと運びこみ、なんとか積みこぼしなく船室におさめた。しかしあまりの持ち込み荷物の多さに東海汽船の人が呆れた顔をしている。ちょっとした式根島移民団だ。これから大島、利島、新島と各駅停車のように寄港して八時間かけて目的の島にむかう。
一同改めて円陣をつくり、結団式兼闘魂確認式を行う。
「我々雑魚釣り隊は式根島界隈のクサフグ、ハコフグ、ベラなどを釣って釣って釣りまくり式根島周辺の雑魚を完膚なきまで徹底殲滅壊滅粉砕するぞお!」
「おお!」
一同カミコップビールで乾杯。しかし本日波高くかなり盛大に揺れている。船に酔う者はすぐにダウンし、そうでないものは酒に酔っていく。船酔いの激しいやつは吐き、酒を呑みすぎた奴も吐く。結局は同じことをしていくのだ。
海は翌日も荒れていた。強い風と波のなかをなんとか接岸。季節はずれなので観光客はほとんどいない。島の巡査が一人手持ち無沙汰の様子で降りてくる人々を見ている。誰か怪しいやつは降りてこないかと見にきているのだろうが、我々はあまりにも派手に怪しすぎて巡査も困っている。
長老のP・タカハシが代表してその巡査のところに行って何か話しかけている。「我々はね、雑魚釣り隊というものなんです。式根島を代表する雑魚はなんですか?」「ザコですか?う~ん、いきなりそう言われてもなあ」暇な人同士の会話というのは見ていてなかなかいい風景である。
この島には三十代の頃の夏のさかり、手下をどかっと二十五人連れてやってきたことがある。第一次「怪しい探検隊」の頃である。大浦キャンプ場にテントを張ったが、他にもキャンプの連中がうんざりいて、おまけにそこは砂だらけ。水がなくて海水を何かしらで淡水化したものがわずかに出てくるがこれがおそろしくまずいシロモノで、仕方なしに酔い覚めの一杯の水用に雨水をためたのを近所の民家からバケツー杯五百円で買ってきたのを覚えている。現在の物価に換算したら十倍ぐらいになるだろう。それを隊長(ぼくのことね)のテントに確保しておくと、夜あけにテントの隙間から手が出てきてそれをかっぱらおうとするやつがあとをたたず蹴ったり叩いたりと思わぬタタカイがあった。
夜になるとやることがないので当時の炊事班長(沢野ひとし=イラストレーター)がたちあがり、まわりにいるキャンプ客百人ぐらいにむかって「山田ああああああああ!」と叫びはしめた。これだけ人がいれば一人ぐらい山田というやつがいるだろうという考えである。もとよりあまり意味はない。
やがてあちこちから「おお!」などと答える、おれたちと同じぐらい無意味な連中がいっぱい出てきて、そいつらが鍋だのカンカラなどを叩きながら行列をつくってやってきた。そいつらに包囲されて互いに「山田ああああ」と呼びあったというさらにわけのわからないことをしていた。その話は「あやしい探検隊北へ」(角川文庫)という本に書いた。
そうなのだ。考えてみるとその三十年前と同じようなことをいまだにおれはやっているのである。
今回は冬場なので指定されたキャンプ場は大浦とは反対側の釜の下キャンブ場というところで、行ってみるとこぢんまりとして陽あたりもよく、ちゃんとおいしい真水の出る水道やカマドなどもある素晴らしいところだった、そのカマドの形が以前雑魚釣り隊でキャンプした若洲キャンプ場にあったものとまったく同じなので、これは東京都が認定したカマドのデザインであるらしいと判明。しかしこの程度のキャンプ揚の規模にしてはいささか大袈裟である。
朗報は歩いて五分のところに二十四時間入れる天然温泉があることだった。
「東南カド地、水道カマド完備。温泉すぐそば」不動産売り出しのキャッチコピーにしたらそうとうの優良物件である。
先客に中年男のキャンパーが二人。新参者としてその一人に挨拶した。
おれたらはまずタープを張り、それぞれ個人用テントを張る。ここで毎回なにかしら事件をおこす西澤が「うぎああ」などと叫んでいる。テントのポールをそっくり全部忘れてきたというのだ。この寒空に露天で寝るのはかなり辛いだろう、「誰か二人用のテント持ってきていないかなあ。おれを泊めてくれよ」
西澤、あわれな声であちこち拝んで回るが、誰もこんなむさいのと寝たくないから反応は冷たい。
タープ用のポールの余ったのがあったからそれでインディアンのティピーテントみたいにすればいいじゃないかと冷静に指導。まあ三十年もキャンプをしてきたから応用はきく。やってみると西澤のテントがひときわ目立ってカッコよくなってしまった。
「くふふふふふ」
バカ西澤がそのテントの前で笑っている。
死に辛カレー作戦
島は周囲十二キロとちいさなもので六百人ぐらいしか住んでいない。伊豆七島と書いたが正確には新島の属島のような扱いで七島には入っていないそうだ。しかし日本の島はどこも整備はゆきとどき、ここもきちんと奥のほうまで舗装された道路がはしり、スーパーなどもちゃんとある。
さっそく今夜のめしのおかずを確保しに釣り班長の海仁を先頭に、西澤、名嘉元、ヒロシ、長老、コンちゃんなどが堤防にむかった。
今回参加できるはずだった料理長のリンさんがまた来られなかったので、おれが立ち上がり、それじゃあ「ヤロウども!」と言いつつアヒアヒ死に辛カレーを作ることにした。
昨年行っていた北極圏のバフィン島で連日のように十人前のカレーを作っていたので「まかしときなさい!」という気分だ。コンちゃんが東京から業務用の五十人前のカレールウを買ってきたので、これはたのもしい。カレーのための野菜などをスーパーに買いに行ったら、おいしそうなムロアジとマアジの「くさや」があったので十匹ずつ購入。こんなにシアワセなことはない。ただし野菜類は高く、東京の三倍はする。
スーパーのおじさんが「あんたらウコッケイをいらないかい?」
と聞く。ウコッケイといったら肉もタマゴもうまい鶏ではないか。「いいすねえ」と言ったら生きているウコッケイなので、自分らでシメテさばかなければならないという。そうなるとリンさんがいないとどうしようもないので残念ながらあきらめた。おれたちでさばけるのは魚とイカ、タコまでだ。
手下のドレイをつかってまずニンニク百五十片、タマネギ二十個をよーく炒めてジャガイモ十八個、ニンジン四本、トマト六ケ、リンゴ一ヶを投入。隠し味に醤油、タバスコ(二瓶)を投入。あとはかき回しているだけでよい。ざっと三十人前のカレーだ。
胃弱の海仁はニンニクが駄目なのでこれとは別にニンニクの入っていない辛さひかえめのお子様仕様カレーを三人前作る。
クサヤのしあわせ
その海仁が四十センチ級のメジナを一匹釣った。よしよし。地元の人は殆どがブダイを狙っているらしい。このへんの人はブダイを開きにして食べるのが好きなのだという。しかしそのほかの人々にはアタリもない。アタリもないまま餌だけとられている、という最悪の状態だ。風は冷たく、条件はよくない。
ひと足先にひきあげてきていた長老が、先客のテントの二人組の情報をいろいろ伝えてくれた。暇で話好きの長老の情報収集は的確で、二人は北海道からきた兄弟で、もうひと月半ほどここにいる。島の役場の人との約束でもうじきここを出なくてはならないという。はっきりいうとどうやら兄弟ホームレスらしい。
「それからこの島にはノラ猫が多いので注意してください、と島の人に言われたよ。それから火だけは注意してください、と言われたよ」
長老はそういうことも教えてくれた。なるほどさっきは気がつかなかったが大小のノラ猫が五、六匹いて妙にひとなつっこい。タコの介がネコ好きらしくしきりにナデナデしている。
歩いて五分のところにある温泉は、熱い源泉を海水で薄めているからしょっぱいが、なかなか野趣にとんでいてすばらしい。混浴で海水パンツなどをつけるようになっている。といっても今の時期観光客などまるでいないから入っているのは地元の親父と我々だけだ。長老は白いブリーフで入っていたが、湯船に腰を下ろすとケツに茶色い染みがべったりつくので尻のところだけ色がついてまるで風呂の中でオモラシしたような状態になり、白いブリーフは評判が悪い。
さて風呂あがりの宴会である。メジナは新鮮このうえない刺し身になり、ムロアジのクサヤを焼くとノラ猫たちが狂ったように身もだえしている。
うまいクサヤを食うには自分で焼くにかぎるのだ。半身をふたつに割ると湯気をあげてほくほくの焼き芋ふうになって、これをかじってビールを飲むときに人生のシアワセを感じる。
ありがたや、ありがたや。
ウツボがいいのだ!
翌日も晴天。風もおさまり、こんなに条件のいい目はない。申し訳ない申し訳ないといいつつ、釣り班は堤防に出ていく。この日はコンちゃんと海仁が真剣に作戦をたて、カニの餌でブダイを狙うことになった。すると開始から一時間ぐらいで海仁がちゃんと1キロぐらいのブダイを釣った。すぐにヒラキにする。
しかしほかの誰にもアタリがないので餌をイカに換えるとカワハギ、ベラなどがかかってきた。長老はカワハギ、ベラ、ハコフグなどを釣り上げ、サビキでブダイも釣りしげてしまうという非凡なところを見せていた。最近の長老は釣り場にでると沈黙し、毎回かならず本命の雑魚と、我々にとっては外道の、たとえば今回でいえばブダイなどを釣っている。海仁が太ったヒラソウダ、名嘉元がベラをあげる。
キャンプ場ではひるめしの準備。またもやおれが臨時炊事班長になって天ぷらを作ることにした。タマネギ、ナス、サツマイモに釣って待ち込んだヤリイカ、そこらにいくらでも生えているアシタバを揚げる。天ぷらをやるのは十年ぶりぐらいだろうか。
むかし山によく登っていた頃、髪の毛をいつもバクハツするように全部逆立てていた大内さんという先生がいた。みんなで大内バクハツ教授と呼んでいたが、この人はどこにいくのでもフライパンを持っていて、キャンプでは必ず天ぷらを作った。天ぷらというのは案外簡単でキャンプ料理に適しているのだ。しかしバクハツ教授の天ぷらのタネはそこらに生えている山の草の葉ばかりで、そんなのを人間が食って大丈夫なのだろうかと思うのだが、天ぷらにすると不思議に食えてしまうのだった。以来、キャンプにおける天ぷらは偉い!と思うようになり、おれも真似をするようになった。
テント場にはサラダ油しかないので、これでは天ぷらはできないんじゃないかとうろたえていると、長老が「今はサラダ油でいいんだよ。隊長は何もしらないんだからなあ」などと嬉しそうにいう。なるほどそのとおりだった。しかしこの長老はまことにいろいろうるさく「それじゃあ小麦粉のまぶしかたが足りない」とか「箸の先を油にっけて衣のタレがいったん沈んですぐに上かってきたらいいんだ」とか「もうナスをいれるべきだ」などと、何もしないくせに後ろからいろいろ言うので熱いアブラを扱っている最中だとまったく気がせいてアセル。
「わかりましたから長老はしばらくネコとひなたぼっこでもしていて下さい」とお願いする。
うどん玉は三十個用意してある。これをドレイの太陽が手早く茹で、ダイコンオロシにめんつゆとタマゴをまぜてできたてあつあつの天ぷらを乗せて食うと我ながらうまくてまいった。いつも空腹のヒロシ君がしあわせそうな顔をしていた。
午後はゆっくり堤防に出た。やっとおれも参戦。ちょうどシオがよくなっていたようで、みんないろんなものを釣りはじめた。おれもメジナを二匹あげた。名嘉元の竿が大きくしなって全員が「おおおおお!」と見守るなか大きなウツボをあげた。雑魚釣り隊らしい成果である。
「これはおれがさばくからな、あとでみんなで食おう」と名嘉元が言った。たのもしい男だ。メジナは全部で十匹。
キャンプ場ではタコの介が第二炊事班長になって「きのこの炊き込みごはん」「豚汁」「カワハギの刺し身、キモ醤油」「ヒラソウダの刺し身」「アオリイカの刺し身」「メジナの塩やき」などを製作中で、ちょっとした海鮮居酒屋がひらけそうなメニューになっている。
炊事班のほかは全員カンビールを持って露天の温泉に行った。ちょうどいい汐風に吹かれながら「ありがたや、ありがたや」といいつつビールを飲む。星がでてきていた。そんな空をあおぎつつまたもや「ありがたや、ありがたや」と念仏のように唱える。
今回の獲物でいちばんうまかったのはウツボであった。開いて骨を丁寧にとって焼くと脂のたっぷりのったアナゴのようで、もううまくてうまくてたまりません状態となる。ウツボは雑魚のなかの雑魚というきっぱりした位置にいるが、じつはすこぶる官能的にうまいのであった。